ご注意:以下の「」内は、鹿児島弁の抄訳です。 可能な限り翻訳しました。
テストで解けなかったところをシュウジ兄さんに質問しながら復習した。
シュウジ兄さん:こいは教科書のこん練習問題の、こいをばいじっただけよ。簡単やっどが?「これは、教科書の此処の練習問題のここを変更しただけよ。簡単だろう?」
私:うんにゃ!難しか!「いや!難しい!」
図形の練習問題もあり、シュウジ兄さんが色ペンで図を描き、後で私が復習しやすいようにノートを作成してくれた。
母親の話では、そのノートは涙やら鼻水やらで濡れたため、ふやけてボコボコ状態。色ペンの文字がにじんだり、筆圧が強すぎて穴があいていたりだったとか。しかもそのノートを学校に持って行ったという。
このことは、全く記憶にないですが、恥も外聞もなかったのですね。しかし、シュウジ兄さんは、そんな汚いノートに書いてくれたんだなーと、今更ながら感謝の気持ちでいっぱいになってきます。
勉強部屋は姉と一緒だった。あまりにも私の独り言がうるさくて、その内容も酷かったためか追い出された。
姉: やじろしか!あっちいけっ!「うるさいっ!あそに行けっ!」
私:うるせっ!黙れ!「うるさい!黙れ!」
姉:今、なんちった!「今、何って言ったの(怒)!!!」
この頃から、強制的に両親がいる茶の間で勉強し始めたと記憶しています。テレビは見ずに、父親は新聞を読み、母親は家計簿をつけていたと思います。問題が解け、ひと段落しフッと顔を上げると、両親が私をじーっと見ていたことも思い出します。
親父:勉強は、おもしろかか?「勉強は、面白いか(楽しいか)?」
私:うん、おもいしとかど「うん、面白いよ(楽しいよ)」
父親:じゃっとか「そうかね」
私:あんね、問題集をこうてほしかと「あのね、問題集を買って欲しいんだ」
親父:よかど「いいよ」。(ニターっと微笑んでいた)
翌日だったと思う。地元の書店「ニッシン堂」に父親が連れていってくれた。その日は、親父が店主に無理言って、閉店は18時だったか、21時くらいにシャッターを開けてもらうようお願いしていた。※今、天国にいる親父に、ありがとう!と。
シュウジ兄さんからのアドバイスで、問題集の厚さは薄く、解説が詳しいものを選ぶように指示があった。 それに従い、2、3冊の問題集を買ったのを覚えている。 繰り返し復習できるように、そこには書き込まず、ノートで復習した。
少し脱線させてください。 町にはこの書店「ニッシン堂」が一店舗しかなかった。中学生になると色んな意味でこの書店に足しげく通うようになったのです。同じ野球部の部員達と問題集を買う振りして、成人向けの本をチラっチラっと見て楽しむ頻度が多くなったためだ。勿論?静かに楽しめなかったため、当然のように店主に見つかり、レジ付近から“なんを見ちょっとか!!「何を見ているのか!!」”と何度も怒られていた。もう少しこの話を深堀したいのですが、諸事情で仕方なくこの辺りでやめますね。。※今の時世は、コンビニやらスマホやら羨ましい限り。
話を戻します。
ある日、算数の答案を返却するときだった。そのテストは、そこそこ自信があり最低でも70点は採れるだろうと思っていた。結果は、85点くらいだった。ヒダカ先生は、みんなの前で点数を言って褒めてくれた。
女子たちも褒めてくれた。努力が報われた瞬間だった。80点台だったがヒーローの感覚だった。
しかし、これも束の間。。
嘘じゃー!「嘘だー!」、カンニングをしたどがー!「カンニングをしたんだー!」
教室の後ろを向いた。それは、U君だった。その声は、教室のみんなにハッキリを聞こえたと思う。
“えっ!そんなこというか。普通!”こんなことを思ったはずだ。
ヒダカ先生:ワイはなんごて、そげなことをいうとよ?「お前はなんで、そんなことを言うのよ?」
女子たち:自分が頭が良いからちゅうて、いばっちょっが!「自分が頭が良いからと言って、威張っているんだね」
こんな会話がしばらく続いたと思う。
ここからU君が、いちいち難癖つけ始めてきたのですね。
次回に続けます。