通知表とヒダカ先生と私(#1)

  1. LOCAL

先日、ターニングポイント関連の以下記事で国語が2であったことを告白しました。その話の続きをさせていただきます。


とその前に、 先週、帰省し夏季休暇をいただきまして、久しぶりにヒダカ先生に会うことができ、その際の話をさせてください。

ご注意:以下の「」内は、鹿児島弁の抄訳です。 可能な限り翻訳しました。


霧雨、家内が運転するレンタカーでヒダカ先生に自宅に向かった。

会うのは、 親父の葬儀以来なので15年ぶりだ。

道中、そわそわ緊張していて、家内との会話で気を紛らわしていた。

コンビニのおトイレに行きたかったが見当たらず、そうこうしているうちにヒダカ先生のご自宅に着いた。

玄関の呼び鈴を鳴らしたとき、奥から聞こえる声

はい~、博文君ね~、いらっしゃい~。

小学校の時のヒダカ先生の声だ。ガラガラ声はそのままだった。

“この声”が、私を小学5年生の頃までタイムスリップさせていた。

玄関を開けると、ヒダカ先生が微笑んで出迎えてくれた。少々老いていたが、雰囲気はそのままだたった。

客間に通され、ヒダカ先生から隣に座るように促された。

客間のテレビは、地元高校野球の予選が映っていた。“あー、あの頃のままのヒダカ先生だ。野球が好きなんだなー”と今も変わらない先生が嬉しかった。

席につくなり、先生からソフトボール少年団、夏休みの水泳の猛特訓を話しだした。ヒダカ先生の奥さんが、冷えたコーヒーをテーブルにおきながら

奥さん:あんな水泳の練習は今はないよね。今は水遊び。あの頃は、オリンピックの練習かと思うぐらいよね。

私:はい、まったくです。先生は、手加減なしでした。

一同:(大爆笑)だはっは~、 だはっは~

私:いやいや、笑い事じゃないし~!午後からソフトボールじゃないですか!先生の力配分はおかしいですよ(笑)

少々びっくりしたのだが、30年余りの出来事をその当時の同級生の名前を言いながら話をするのです。

私:先生、なんでそんなに覚えているんですか。

先生:博文ん頃は、しっかい覚えちょっど「博文の頃は、しっかり覚えてるよ」。九州大会の決勝は、おしかったいね。優勝でくっちおもちょった。 〇〇(人名)がミスをしちょったからね 「九州大会の決勝は惜しかったよね。優勝できると思っていた。 〇〇 (人名) がミスをしたからね。」。やっどん、 あの頃はやっぱい良かったいね~。「やっぱり、あの頃はやっぱり良かったよね。」

左側がヒダカ先生、前列左から3番目が私

もうあの頃の思い出が、ドンドン湧いてきた。

途中、話を聞きながらハッ!と感じた。

先生の人生の中に、たまたま私が運よく入り込め、そこで目に留めていただけたことに感謝しなくては!私は、相当恵まれている!幸運だったと。

帰宅の中、家内も同じようなことを話してた。

私:ぶんとへ「全然だめ」な私だったのに、先生の教えのおかげで、今の私があるのです。本当にありがとうございます!

ヒダカ先生は、“そうか、そうか”と、微笑んでいた。


以下の写真は、帰る際、家内に撮ってもらったもの。

次回は、通知表を公開いたしますね。

光り輝く笑顔を!

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"点と点はつながると信じて、今の点を選択する。愛と敗北こそが、人生を豊かにする。死を感じて、今日を生きる。By Steve Jobs“

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